いのちあふれる街づくり ── 都市計画と生物多様性の夢
「あれは何だ!」
私は突然目の前に現れた生き物を指差した。
「DEER. You know?(鹿・・・だけど・・・?)」
と、私の世話をしてくれていた大学院生が答えてくれた。
いや、そうじゃない。私が驚いたのはなぜここを鹿が堂々と横切っているのかということなのである。
この場所はインドのマドラスにある、インド工科大学マドラス校(IITマドラスと言った方が有名かもしれない)のキャンパス内なのである。
ヤギも哲学者になれる!?
日本でも歴史ある大学のキャンパスは緑が溢れているところが多いが、鹿が闊歩しているというのは聞いたことがない。
「あの鹿はキャンパスで飼っているのか?」
と聞くと
「野生の鹿だよ」
と、何を私が不思議がっているのかわからない様子だ。
「野生の鹿が大学のキャンパスに住み着いたのか?」
と聞いた。都市内でビオトープなどをつくると、そこに生物が寄ってくるのと同じ理屈なんだろうと考えたのだ。しかし、その大学院生の答えは、私の発想の陳腐さを露骨に示してくれた。
「私達が鹿の住んでいるところにキャンパスをつくったのさ」
これは私がまだ大学院生の時だったので、20年も前のことである。
今後アジアは大都市に周辺部から人々が流れ込み、大都市問題が欧米とは比較にならないぐらい問題になるだろう・・・と、私の研究室の教授は考えていた。そこで、IITマドラスの教授を、私が通っていた大学に1年間招聘することになり、私が来日する教授との事前研究準備を命ぜられて、インドに来ていたのである。
インドの下町では、野良犬ならぬ「野良牛」というのが堂々と道を占拠している。牛は神様の乗り物なので、高齢になり牛乳が搾れなくなると社会に返してしまうのである。
また、街路樹などを眺めているとリスが楽しげに走り回っている。
ヤギも広場に堂々と座っている。
その様子は何か哲学的なことを考えているようにさえ見えてくる。
これがもし日本だったらどうだろうか。
街なかに鹿が突然現れたら・・・全国ニュースに登場することになるだろう。
ましてや、野良牛などが国道を闊歩するようなことがあれば、大騒ぎと共に、「管理責任は誰が負うのだ!」などの言葉が新聞紙面をにぎわし、ワイドショーなどでも時間を掛けて社会問題のように扱うことになるかもしれない。
私は何も現代日本の都市に野良牛を認めよう・・・と言うつもりはない。しかし、重要なのはもともと生物が生息していたであろう場所や空間に、人間が後から都市をつくったことを認識しておくことなのである。
全てがそうではないが、インドでは「人間が後から来て生活をしているので、“先住民”である、さまざまな動物が居てもおかしくない」という考え方をしている。
私が知っているインドの姿は20年以上も前のことであるが、当時でもインドにおける都市化のスピードは凄まじいものがあった。当然、野生生物の生息環境は急激に変化していたと思われるが、それでもインドの都市は人間だけの空間ではなかった。
“都市”という空間は人間が都合の良い仕立てを行ったものである。しかし、“都市が形成された場”は人間だけの空間ではないということを見直し、再認識することで「いのちが溢れる都市空間」というものが見えてくるのではないだろうか。
(谷口庄一)
















