次に「草薙の剣」について考えてみよう。もともとは、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したとき、尻尾から出てきた剣が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といわれていたもの。その剣は日本武尊が父・景行天皇の命を受け東征する際、伊勢神宮にいた叔母のヤマトヒメから火打石と一緒にいただいたものだった。そして今の静岡県焼津の浜で敵に追い詰められ火を放たれた日本武尊とオトタチバナヒメだったが、日本武尊はヤマトヒメからもらった剣を抜き放ち葦(あし)をなぎ倒し、もらっていた火打石で葦に火をつけた。するとみるみるうちに火は大きくなり風が起こって敵を退散させたという話が伝わっている。それ以降、剣は「草薙の剣」と呼ばれ、その地は「焼津」と呼ばれた。
日本武尊の「草薙の剣」はその後、戦いに使われることはなかった。彼の最期となった伊吹山の戦いで彼は「草薙の剣」を尾張のミヤスヒメのところに置いて出征している。つまり、この焼津の一戦で使用されたのが最後でその名に象徴されているとおり、「草薙の剣」は戦いの道具でなく、知恵の象徴として表されている。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といった仰々しい名前が、草を刈る鎌でもあるまいし、草を薙ぐ剣とされたように、敵と戦うことを止めたことのメッセージとして、あたかも「草薙の剣」と命名されたようだ。
尾張の国から始まった東征であるが、彼はこの地で決定的な何かを知り得たのではなかろうか。宮から大高、知多にいたる海岸線をあゆち潟と言った。そしてこのあたり一帯は「寝覚の里(ねざめのさと)」と呼ばれ、神人合一のたとえとして浦島太郎と仙女、日本武尊とミヤスヒメ、蓬莱伝説の鶴と亀などが登場する。その寝覚めのキーワードが「波の音」である。日本武尊は「波の音」で目覚めた。海からの福音。はるか沖まで続く遠浅の海、その下に生息する多様な生き物。それらが戦うことなく共存しつながっていく大調和の世界。それを日本武尊は悟ったのであろう。海は、「うみ」と読むが、「あま」とも読む。天も「あま」と読む。それはおそらく彼にとって天(海)からの啓示でもあったのだろう。
日本武尊は東征から尾張に帰って以来、草薙の剣を使っていない。「草薙の剣」は、知恵のシンボルとして、やがて熱田神宮に神宝として祭られるようになった。「草薙の剣」は、水際で火を使って風を起こした、そういうシンボルとして祭られた。実際、熱田神宮のある名古屋市周辺の祠(ほこら)や屋根神様には、熱田神宮のお札を中央に左側に秋葉神社(火の神様)のお札、右側に津島神社(水の神様)のお札という配置になっている。この配置は実におぼえやすい。左(ひだり)から一つ(ひとつ)目が「火(ひぃ)」、二つ(ふたつ)目が、「風(ふぅ)」、三つ(みっつ)目が「水(みぃ)」に符号するから不思議だ。これは左手と右手で拍手(かしわで)を打つ姿にも通じる。パンパンとたたくと風が起きる。つまり「熱田神宮」の神様は、どうやら風のようである。海からわたってくる風、「あゆち」が思い起こされるのだ。
(石浦薫)
「あゆち」思想の源流を探る⑦:http://goodnews-japan.net/news/blog/2009/05/22/5771




















